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投資信託の映像

このころ、日本のS首脳らは、ある苦情を耳にするようになっていた。 「ハワイのSは日本に比べるとレベルが低い」。
ハワイ旅行から帰ってきた人の感想だった。 89年秋、S社からハワイ売却の話が正式に持ち込まれると、Sらはすぐにハワイへと飛んだ。
確かに苦情は本当だった。 店内の照明は暗く、日本人が買いたい商品はなかった。
日本のSにとって、アメリカとはいえ日本人に馴染みのあるハワイの「S」の店舗イメージが悪いのは避けなくてはならないことだった。 Y堂側はカナダの「S」の買収もS社から要請されたが、アメリカ大陸まで手を伸ばすことは考えておらず、ハワイにある508店舗だけを買収することにした。
買収金額は18億円。 交渉がまとまったのは、日経平均が4万円突破まであと一歩のところに迫るまさにバブル絶頂期の89年12月22日。
Y堂グループとしての海外進出第一弾は、S社支援の形で始まった。 「ついにここまできたか。

S社はいったいいくら必要なんだ」ハワイ買収交渉が終わるか終わらないうちに、S社から届けられた書面を見たY堂グループ首脳は顔を曇らせた。 内容はS社への財政・経営の全面的な支援要請だった。
89年度のS社の純利益は13億ドル超の巨額の赤字を計上、経営危機に直面するほど状況は深刻だった。 本家のSの窮状。
Y堂社長のI、Y堂副社長兼S社長のS、Sとの交渉窓口でS専務のKらは支援の是非について会合を重ねた。 Sが破綻すると、「S」の暖簾が競売によって第3者に渡る可能性が強いことがわかった。
米国ならまだしも手塩に掛けた日本のSの暖簾も奪われる。 何事にも慎重なIも、Sや鎌田に「1千億円までなら出せる。
仮に再建が失敗しても1千億円は自己資金でまかなえるから、Y堂がひっくりかることはない」と語った。 90年3月22日、Y堂グループはS社に対し条件付きで資本・経営参加することで基本合意した。
「条件付き」というのは、Sが発行したジャンク債の取り扱いの進め方だった。 金利負担を大幅に軽減させるために社債権者(法人を含む約3万人)に泣いてもらう必要があったのだ。
S社は利率が17、18%のジャンク債を5本、計18億ドルも抱えており、これを低金利のゼロクーポン債と普通株式に交換し、6億ドル程度に負債を削減すれば再建が可能であると考えた。 社債権者の95%以上の合意を条件に後にY堂側が4億ドルを出資してS株の75%を保有し、社債権者には10%、創業家のトンプソン一族には15%を割り当てるのを買収計画の大枠として社債権者に提示した。

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